伝統歌舞伎保存会 > 伝承と育成> 葉月会トップ

第十二回(平成5年8月18日、12時・17時開演)

プログラム表紙

クリックするとパンフレットが閲覧できます。(PDF:19MB)

 


「二人三番叟」


「戀闇鵜飼燎」


「お祭り」

 

「二人三番叟」 竹本連中・鳴物連中

藤間勘五郎=振付

翁=松本幸右衛門、千歳=中村紫若、三番叟=尾上辰夫(吉川明良)、三番叟=中村蝶十郎

 

「戀闇鵜飼燎」(こいのやみうかいのかがりび) 四幕

河竹黙阿弥=原作による葉月会台本
河竹登志夫=監修
藤間勘十郎=振付
持田 諒=演出

序幕  隅田川身投げの場 清元連中
二幕目 峠下安宿笹屋の場 竹本連中
三幕目 笹子峠熊蔵殺の場
    石和川原鵜飼いの場
大詰  料亭松源桟橋の場

新常磐屋芸者小松・鵜飼い幸作=加賀屋歌江(中村歌江)、船木賢三郎=松本幸右衛門、月の輪熊蔵=澤村大蔵、茅町米屋穂積文三=中村勘之丞、女房お崎=中村歌女之丞、船頭三八=中村吉次(中村吉五郎)、探索鳥蔵・船頭=澤村紀義、探索丹作・船頭=澤村光紀、宿の女中お六=中村歌松、鵜遣い乙松=保足俊輔、若い者丑蔵=二村幸雅(市川段翔)、若い者長次=松榮忠志(中村吉六)、丁稚左吉=土肥洋史(中村鴈洋)、願人坊主=田島春男(市川竜之助)、息子徳太郎=吉田匠

 

三代目中村梅花一回忌追慕
「お祭り」
 清元連中

藤間勘十郎=構成演出振付
藤間伊佐舞=振付補

芸者お駒=加賀屋歌江(中村歌江)、芸者お幸=松本幸右衛門、芸者お俊=中村時蝶、芸者お梅=尾上梅之丞(大谷ちぐさ)、芸者お藤=中村紫若、芸者お信=中村歌女之丞、芸者お松=中村芝喜松、芸者お和=中村歌次、芸者お文=中村歌松

 

補足:第十二回公演をふりかえって

『戀闇鵜飼燎』
明治期に五代目尾上菊五郎が初演した黙阿弥作品。五代目は芸者小松と鵜遣い甲作の二役を演じた。

大正期には、四代目澤村源之助が小芝居で二度上演して、「田圃の太夫」と呼ばれた小芝居の人気役者ならではの名演だったと伝えられる。

下谷の人気芸者小松は、深い仲の米問屋の主人文三と心中を図るが、水鳥のちょっとした悪戯から入水し損ねる。それを見ていた博徒の熊蔵に「最初から死ぬつもりなどなかったのだろう。お前が男を殺したんだ」と付きまとわれる。小松は熊蔵をともなって故郷甲州へ逃げる。甲州の宿屋の笹屋には、小松の初恋の人で今は大泥棒となった賢三郎が身を隠していた。その笹屋の女主人におさまる小松。そこに吸い寄せられるようにして、因縁の人々が集まる。夫に心中を図られ、婚家を追い出された文三の妻子、そして命を永らえていた文三自身、さらに小松・賢三郎の弱みに付け込み強請ろうとする熊蔵……。追い詰められた小松と賢三郎は熊蔵殺しを決意する。が、文三にまとわりつかれるうち賢三郎と離れ離れになった小松は笹子峠で狼の群れに襲われ、残虐に食い殺される。ひとつ残った首だけが川を流れていく。それを拾ったのは鵜飼で小松の実の兄、甲作であった。

【持田】
この作品のいちばんの見せ場は、芸者小松が山中で狼に食い殺される場面でしょう。しかも、食いちぎられた首が川を流れていくというご丁寧さです。
この作品が書かれたのは明治19年。九代目團十郎らによって「演劇改良」が叫ばれ、歌舞伎の高尚化が推し進められている真最中でした。『敷島物語』にしてもこの作品にしても、黙阿弥のような人気作家が書いたにもかかわらず、その後大歌舞伎で上演される機会がなくなっていったのは、殺し場などの残虐な描写が「高尚化」にそぐわなかったからだと考えられます。それがわかっていながら、黙阿弥は無言でこういう作品を書いた。この作品に携わって、その気骨に感服しました。狼が出る場面は歌江さんや照明、大道具などのスタッフと相談し、着ぐるみで出すのではなく、森の中から狼の顔だけを出して、その目がギラリと光るというように工夫しました。前年に梅花さんが亡くなられましたが、先輩の衣鉢を継ぐ思いもあったのでしょうか。歌江さんの意気込みはさらに熱を増し、狼に追い詰められて逃げ惑う立廻りがとても素晴らしかったし、狼に噛み付かれるところは、後見が狼を動かしたのでは危ないからとご自分でなさった。熱演でした。

【成島】
狼に追われて逃げ惑う小松を見て、あらためて歌江さんのすごさに感心しました。古典が出来、かつ、こういった新作に近い復活作品も出来る女形は滅多にいるものではありません。小松が狼に食い殺されるのは甲州の笹子峠です。狼が人を食い殺すという残虐さが目をひきますが、それが「田舎の山中」であるということが眼目なのだと思います。江戸の闇ではなく、大歌舞伎が切り捨てていこうとしている「ローカルな闇の深さ」。そこで残虐な人食いが繰り広げられる。「葉月会」の後半期は、現代の歌舞伎が失った「ローカルの闇」を描く作品を掘り起こしていくことが大きな目的となった。『戀闇鵜飼燎』はそれを象徴する作品だったと思います。後に河竹登志夫先生が「見たいと願っていた芝居を全部見られた」とおっしゃってくださいましたが、それは「大歌舞伎が失ったものを掘り起こした」という点をご指摘くださったのだと思います。
最後に、前年に亡くなった梅花さんの追善として『お祭り』を出しました。女形の「大先生」であった梅花さんを悼む気持ちで、出演者全員、十人近くに黒のきもの芸者姿で踊っていただきました。幸右衛門さんまで芸者のこしらえになったのですから壮観でした。

【歌江】
『戀闇鵜飼燎』は、とても楽しく演じさせていただきました。ご宗家(二世藤間勘祖)が稽古に何度も足を運んでくださって、あるときなどは鵜飼の指導もしてくださった。実は私を含めて出演者・スタッフの誰も、本物の鵜飼を見たことがなかったのです。それでご宗家が「こうやって、こう」と細かく鵜飼のやり方を再現して見せてくださった。踊りのことに限らず、何でもよくご存知でした。梅花さんもご宗家も、ご存知のことなら何でも教えてくださった。感謝しております。

 


サイトに掲載された文章・情報・写真・画像等の著作権・著作隣接権・肖像権は、伝統歌舞伎保存会が管理しています。無断での複製、使用、改変は固くお断りいたします。