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第七回(昭和63年8月10日、12時半・5時開演)

プログラム表紙

クリックするとパンフレットが閲覧できます。(PDF:23MB)

 


「操り三番叟」


「本朝廿四孝」


「お祭り」


「花上野誉碑」

 

「操り三番叟」 長唄囃子連中

藤間勘五郎=振付

三番叟=尾上辰夫(吉川明良)、翁=松本幸右衛門、千歳=澤村藤車(澤村鐵之助)、後見=中村京蔵、付後見=柴山二美雄(市川升平)

 

「本朝廿四孝」奥庭狐火の場 竹本連中

尾上菊之丞=指導

息女八重垣姫=尾上梅之助、力者=坂東玉雪、力者=田村俊晴(市川猿四郎)、狐=中村京蔵

 

「お祭り」 清元連中

藤間勘十郎振付

芸者=加賀屋歌江(中村歌江)、若い者=神田和幸(市川段治郎)、若い者=小柴俊哉(片岡たか志)、若い者=小島孝文(松本錦弥)、若い者=鈴木俊之(市川左十次郎)

 

金刀比羅利生記「花上野誉碑」(はなのうえのほまれのいしぶみ)志渡寺の場 一幕

戸部銀作補綴

乳母お辻=加賀屋歌江(中村歌江)、民谷坊太郎=関六合、森口源太左衛門=松本幸右衛門、槌谷内記=片岡松之助、方丈了然=山崎権一、内記妻菅の谷=澤村藤車(澤村鐵之助)、森口門弟団右衛門=尾上辰夫(吉川明良)、森口門弟伴之進=中村蝶十郎、腰元信夫=尾上梅之助、内記門弟数馬=澤村国次、内記門弟十蔵=中村吉次(中村吉五郎)、同宿頓念=手島和也(中村東志也)、同宿雲念=久保清二(中村芝のぶ)、同宿西念=柴山二美雄(市川升平)、同宿真念=近藤弦(市川春猿)、中間=小島孝文(松本錦弥)、中間=小柴俊哉(片岡たか志)

 

補足:第七回公演をふりかえって

『花上野誉碑』志度寺の場は人形浄瑠璃の四段目にあたり、歌舞伎ではこの場面だけを独立して上演することが多い。戦前は五代目歌右衛門、六代目梅幸らが演じ、戦後は昭和27年に三代目時蔵が演じている。その後、昭和39年に六代目歌右衛門が歌舞伎座で演じたのが評判となった。「葉月会」での上演は24年ぶりになる。台本は昭和39年のときの戸部銀作補綴本を使った。

【持田】
このとき初めて、プログラム用に写真を撮りおろしたのですが、その撮影が忘れられません。坊太郎の口がきけるようにと、お辻が〈水垢離〉する場面がありまして、「その瞬間を是非写真に」ということになりました。しかし本水をかぶって写真を撮れるような場所がない。考えた挙句、国立劇場の地下にある駐車場に道具を飾って、撮影したのです。衣裳さん、床山さんらのスタッフみんなが残ってくださり、金井大道具さん、国立劇場舞台技術スタッフの協力で、古井戸や藪畳や柴垣も舞台そのままに再現しました。そのスタッフたちが注目している中で、歌江さんが水をかぶるのですが、タイミングを見計らうのが大変です。カメラマンの青木信二さんが「もう一回」「もう一回」とやり直しを命じ続けて、歌江さんはいったい何杯浴びたのか……。その甲斐あって見事な一枚になったと思います。〈役者・加賀屋歌江〉を思い知らされた撮影でした。

【歌江】
あまり出ていないお芝居ですが、師匠の歌右衛門が歌舞伎座で演じた時に後見をしておりましたし、三代目時蔵さんが演じたのも記憶にありましたので、させていただくことにいたしました。この後に、こんぴら歌舞伎(平成6年、第十回公演)で芝翫さんが左團次さんと演っていらっしゃいます。あるとき左團次さんと銀座通りでばったり会って、突然「ありがとうございます」とおっしゃったので、何かと思いましたら「ビデオを見せてもらいました」と。長いこと上演されていない演し物でしたので、その後もずいぶんビデオを借りにいらした方がありました。
ポスター撮りでは本水をかぶったのですが、宣伝の日程の関係で、まだ三月だったんじゃないでしょうか。とても寒かったのを記憶しています。たぶん二十杯近くかぶったんじゃないかしら。そのポスターを持って、知り合いの芸者さんにお店に貼ってもらうようお願いに回ったり。今ではいい思い出です。

【成島】
この頃から「葉月会のビデオを見せてほしい」と関係者に頼まれることが増えました。近年上演されていない演目を出すようになっていましたので、その点でも注目を集めるようになったのでしょう。「次は何を」という期待も感じるようになり、このときの筋書では「見たい・発表したい傑作狂言集」として、上演候補に上がっていた珍しい狂言をご紹介し、リクエスト・感想を募りました。

 

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