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座談会「葉月会」をふりかえる-番外-

 葉月会を支えてくれた人々は数え切れないほどですが、ことにこのお二人には言葉で言い尽くせぬほどお世話になりました。

 

六世 藤間勘十郎 ふじま・かんじゅうろう (二世藤間勘祖)

明治33年(1900年)〜平成2年(1990年)
本名、藤間秀雄。日本舞踊家。振付師。

 昭和10年代から歌舞伎舞踊の振付師として頭角を現し、戦後は歌舞伎界になくてはならない舞踊振付の大御所として崇敬をあつめ、亡くなるまで「宗家」の敬称で呼ばれた。

 はじめ六世尾上梅幸に入門し、尾上梅雄を名のったが、五世藤間勘十郎に認められて16歳で養子となり、俳優をやめて舞踊家への道に進む。昭和2年(1927年)、六世尾上菊五郎一座の振付師となり、六世藤間勘十郎を襲名。昭和12年(1937年)、菊五郎のために新たに振り付けた『藤娘』が傑作として知られる。舞踊の名人でもあった菊五郎と組んで数々の振付を創造し、戦後も多くの歌舞伎舞踊の振付と指導に活躍。一方、舞踊家としても卓越した業績を残した。芸風は品格が高く、広い芸域と豊富な知識をもち、歌舞伎界になくてはならない存在であった。「葉月会にも振付、指導、監修と、惜しみなく力を貸してくださり、若手の勉強会でありながら、多忙な時間を割いて稽古にもお付き合いいただいた。

 昭和35年人間国宝。42年芸術院会員。54年文化功労者。平成2年(1990年)、勘十郎の名跡を娘の康詞にゆずり、二世藤間勘祖をなのる。同年12月5日歿。

 

三代目 中村梅花 なかむら・ばいか

明治40年(1907年)〜平成4年(1992年)

 歌舞伎の世界には「師匠番」と呼ばれる人がいる。かつては、歌舞伎の名家には必ずこの師匠番がいた。彼らは長きにわたり師匠の身近に付き添い、舞台でも後見をするなどして師の芸をすみずみまで記憶し、それを師の子弟に伝えるのである。

 梅花は本名・萩原清治郎。幼くして五世中村歌右衛門の弟子となり、大正4年(1915年)10月歌舞伎座にて中村芝喜松を名のり『比翼塚』の禿(かむろ)で初舞台。女方として修業し、昭和3年(1928年)10月歌舞伎座で『伽羅先代萩』御殿の場の腰元をつとめて中村芝香と改名。11年11月歌舞伎座で三世中村梅花を襲名。屋号は京扇屋。五世歌右衛門の芸を伝える生き字引として、その孫の現・芝翫をはじめ、ひ孫の福助、橋之助の師匠番として育てるとともに、昭和45年からはじまった国立劇場歌舞伎養成事業に協力し、多くの研修生の指導にも貢献した。幼少期から数多くの舞台を観て記憶していて、「女形の芝居のことなら梅花さんに聞け」と門閥に関係なく言われた。五代目歌右衛門没後は孫の現・芝翫について六代目菊五郎のもとに行った。歌江は「梅花さんのことですから、その間に六代目の世話の息を飲み込んだに違いありません。そしてそれを、後に六代目歌右衛門さんのところへ戻ったときに伝えた。具体的にどうこうしなくても、芝居を作っていく中で端々に出たのではないかと想像します」という。葉月会では第二回の『どんどろ大師』から第十一回の『戀闇鵜飼燎』まで演技指導に力を貸してくれた。

 昭和40年重要無形文化財総合指定保持者認定(伝統歌舞伎保存会会員)。56年勲五等双光旭日賞。61年選定保存技術保持者に認定。63年第8回伝統文化ポーラ賞特賞。平成3年(1991年)国立劇場伝統芸能伝承者養成事業二十周年功労者表彰。『大歌舞伎の女方―中村梅花聞書』が国立劇場歌舞伎俳優研修用教材としてまとめられている。

第四回葉月会「薫樹累物語」を指導する中村梅花

 

 

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